あたしの考え

フェイスブックは字数制限あるので書き足してあります


体罰を肯定する」「体罰を否定する」「あの顧問を罰せ」「いや、先生は熱心な指導者だった」

そんな短絡的な言葉たちで彼の死の是非が量られる事を、彼はどう思うのだろうか。

殴られる事の意味と正義を誰より理解しようと努力していたのは、彼自身だったんじゃないか?

優勝チームの主将でありたいと一番願っていたのは彼じゃなかったのか?

何十発殴られようが、一番耐えていたのは彼だったんじゃないか?

日本の「イジメ」と指導の在り方。 日本の「学級崩壊」と指導の在り方。そういう問題と体罰の是非。


そういう問題の裏表にある家庭と学校の数々の行き違い。

日々繰り返し報道される数えきれない学校と子どもたちの間にある、本質がうやむやな悲惨な事例。

そしてまた繰り返される犯人探しのゲーム。

彼はその中でバスケットボール大好きな少年なだけじゃいけなかった。

「なんで僕だけが」と言う手紙
ただその文面だけが彼の本当の心の言葉だと思う?

言いたいことを上手く伝えられることってみんな下手くそじゃないの?

あたしはいつも 上手になんか言えないよ

上手く言えたことなんてあんまりない


バスケ・・


彼が打ったボールがリングを周って網を潜らず床に落ちた時

そのリバウンドをだれが取るかの勝負になる

でも彼はその勝負の前に一瞬で計算するはずだ


その自分が打った失敗のゴールが ボードの何処に当たったのか?

どんな角度で?

どんなスピードで?

どんなディフェンスを受け止めた直後だったのか?


彼はこれから受けるべき鉄拳の痛みを心配するよりも先にそうするべきだし
そうしたはずなんだ


死を意識するまではできたはずだ


数々の試合と
数えきれないほど打ってきたシュートのデータが、
その身体で覚えた経験が
瞬時にその失敗したゴールの計算を彼の身体がさせたに違いないんだ。


バスケット。

あのハーフの時間。 その長さ。あのハーフの長さ!!


スピードと持久力とグリップとトラップと真正面からの勝負。


ゴール下、よっしゃ追い詰めたとニヤリと笑ったディフェンスにカマをかけてゴール下を潜り、
身体をひねり逆手にリングに軽くボールを投げる。

ボールは羽のように勝ち誇る気配もなくリングをスルリと抜けて床に落ちる。

あのカッコつけたシュートで決めるんだ。


バスケやってたなら言ってる事わかるでしょ?


彼は放棄してしまった。

なんで?


誰のせいで、片付く事?
彼自身、顧問教師含め、誰かの責任問題か?

あのプレーヤーを死なせてしまった。

誰が??まだ言うか????


救いようがない。
彼、彼の両親、顧問教師、あたしたちも。

誰も救いようのない事実だと言うゼロ地点が出発点なんだ。

多くの子どもたちの死の地点は今もゼロのまま、あたしらは犯人を探す。


何故?難しくて解決出来そうにないから。


この国の闇はどこにいる?どこから来た?


考えるのもイヤだろ?


一緒に紛れて騒いでいたいんだよ。

だから誰も考えない。


誰かが死んで犯人を罰するか罰しないかで解決するのは簡単なんだよ。

ずっと闇の中にいたいのさ。


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