サン テグジュぺリ

フェイスブックの「ノート」に書いたものです
少し加筆しました
リヴィエールと向き合うことに敬謙なのです

彼があたしの上司であったら
夫であったら
そういう想いでこれを読める経験と年齢を重ねるようになるとは昔は想像しなかった

若く優秀なパイロット ファビアンに想いを寄せたのは
あたしがとても若かったからです

それも貴重で失いたくない経験でした


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サン・テグジュぺリの「人間の土地」と「夜間飛行」は堀口大学の訳によるもので、

まさに言葉が宝石のように散りばめられる文章への感動。

その感動は何年経っても色あせず、その高揚は抑えることができない。


高校生のときに「夜間飛行」に出会い、

何度読み返して、何度単行本を買いなおしたか。



冒頭から青空に含まれる嵐の予感を

瑞々しいオレンジの奥に腐った箇所がわからないように

真っ青な快晴の空が広がっている


その風景の描写。




空から地上の一つ一つの家々に灯る明かりを見ながら

その一つ一つの家庭の温もりをファビアンは感じながら飛んでいる。

彼も新婚であり家庭を持つ郵便航空機のパイロットだ。




ハンサムな(そんなことはどこにも書いていない)飛行士ファビアン

美しい従順な新妻シモーヌ

常時眉間にシワを寄せている(そんなことはどこにも書いていない)上司リヴィェールも

ほとんど映画のように記憶に刻み込まれている。



インターネットが普及して人のレビューが読めるようになって知ったことがある。

「夜間飛行」のリヴィェールの思考や行動が、

世界中の企業の「上司」という立場の人を叱咤激励しているということ。

その冷徹な美学が多くの「上司」の支えになっている。

たとえば

遭難寸前の飛行士に向かって

旋回ミスがあったことに対して懲戒処分の警告を発する非情さ。

それは冷酷な美学だ。

リヴィェールの本質の弱さが美学なのだと気がつきながら

彼の葛藤を自分にフィードバックさせるのは苦しい作業だと思う。




部下である飛行士ファビアンは嵐に巻き込まれ、燃料を使い果たし、

上昇して雲上に回避することが二度と地上を見つけられないと知りながら昇っていく。

ファビアンが見た宇宙の星々を地上にいる妻シモーヌも上司リヴィェールも知る由もなく、

二人はファビアンを永遠に失う。




部下を失ったその直後、リヴィエールは指示する。




「夜間飛行は続行する」




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「夜間飛行」に書かれた文章にいくつもアンダーラインを引いていた。

「飛行機は目的ではなく手段だ。それで自分を耕している」

これは飛行機という手段で文学も人生そのものも生きて死んだサン・テグジュぺリ自身のことだ。




リヴィェールは「部下を愛せ、ただそうと知られずに愛せ」という信念を貫く。

その苦悩や真実の想いは表に出さず、リヴィェールは冷徹な上司という立場を崩さない。




その痛みは人間の弱さだとあたしは思う。

シモーヌがファビアンの安否を尋ねるためにリヴィエールに面会する。

夫の職場に入ったシモーヌは気付く。

彼女は夫を失った日に、それによって新たに夫に相応しい妻に生まれ変わる。




残酷な美学が散りばめられた「夜間飛行」だが、

一貫しているのは、実は本質が脆弱な中に、そこに本物の心を打つものがある。

冷徹を貫くリヴィエールの人間味だ。




この仕事バカで冷酷な男が

「キミは色恋沙汰を経験してきたことがあるのか」と、ふと部下にたずねるシーンだ。

あたしは、「夜間飛行」のこのワンシーンを経て、

再び「夜間飛行は続行する」と命令調で義務を遂行するリヴィエールを抱きしめたくなるのだ。




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故に、あたしはもう一作の「人間の土地」を愛している。




「何者も僚友のかけがえには絶対になりえない

 旧友をつくることは不可能だ

 何物もあの多くの共通の思い出

 ともに生きてきたおびただしい困難の時間

 あのたびたびの仲違いや仲直りや

 心のときめきの宝物の尊さ

 この種の友情は二度と得がたいものだ」




簡単に言えば

砂漠に不時着して何日も彷徨い生還する主人公は

僚友を悲しませるわけにはいかない

生きる意味、責任がそこにあると言って そして彼は砂漠から生還するのだ


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