生命

カラスを嫌いな人間は多い

カラスの気味の悪さというのが動物的ではないから  じゃあないだろーか?

とカラスの本に書いてあった


カラスは生きるために必要な事以外のことをやるから気味が悪がられるんじゃないか?と


「カラスは遊ぶ」 一人でも集団でも遊ぶ

鳥が 生きることに必要以外なこと(狩りとか交尾とか以外のこと)

をやるのが気味が悪いんだってさ

人間はいちいちうるさい


視点を変えて見れば面白がれる
それがポジティブってことじゃない?





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生きてるから趣味があるといい


あたしはSR400というオートバイに乗る人間


「あんなバイク」と言われると そういう視点で人のバイクを見ないあたしは答えようがない
 

シングルの鼓動が好きなあたしを理解しなくてもいいし
それは全く悪いことでもなんでもない

全く悪くない 普通のこと


あたしはスムーズな4気筒の排気音を否定しない
 
否定する材料がない

だから あたしのバイクを「あんなバイク」という その手の話題はスルーしたい




ツインもマルチも

オフロードもリッターバイクも

あたしいのや古いのや

それを抱きしめるように お日様に照らされたり 雨の中カッパを着たり脱いだり


すれ違いながら縁を感じる


同じ匂いを思うのがいい



排気音にこだわる人もいれば 全くそこに重点を置かないライダーもいるだろうし


あたしの気持ちの問題というか

バイクで独り 知らない遠い遠い街 山 朝や夜を走り
そういう時に その振動が必要なのはあたしが寂しがりだからなのかも


そういう視点でオートバイと暮らす自分を好きなのだ


人間の言葉は時々 自分も含めて余分なのだ


言葉はかなり余計で


大きなお世話だ 自分を含めという部分は重要で そこは自戒を込めて生きていたい



SRはキックオンリー


遅刻しそうな時にかぎってエンジンがかからないとか

ああ エンジンかかんないよ。。。やばぃ。。。って思っても

セルがあればいいのに とは一度も思ったことはない


一度もない ぜんぜんない ただの一度も



「キックペダルを踏み抜いて・・・・・・!」



ここはどうしてもどうしても 譲れない愛なのだ(涙)


なんで(涙)なのかというと



あのキックペダルの重さを踏み抜いて ドドッ!っとエンジンがかかる
わずか数秒に 


あたしが生きる意味がある と思ってる


美味しいものを食べたり 大好きな映画に出会ったり 綺麗な風景に出会ったり

大好きな人と暮らしたり


生きる意味はたくさんある中で

「キックペダルを踏み抜いて 目覚めるバイクに乗っている女」は 

あたしの中ではすごく重要な部分なの




もしもアナログなレコードの音をいいと思うなら

CDじゃない音を聞き分けて その懐かしい重低音や

古く切ないかすれたパチパチ音まで愛しいなら

ボタン一つでかかるCDじゃなくて

レコード盤に針をそっと落とす瞬間から味わい深いもの

置いてきた思い出とともにレコードを聴いて

美味しいコーヒーの一つも飲みたくなるもの


そういうのと似てるかな?



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<生命を考える>


らばQ経由でいただいた写真



成長するにしたがって 彼の義足は買い換えられていった

だれでもみんな この男の子の笑顔を大好きだと思うだろう

みんなが ああ キミのことが大好きだよって気持ちで胸いっぱいになる写真


生きてる 成長するっていいなあ




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生命を感じるというか ヤギはこう生きてるという写真



さすがヤギ


次どうする気?


なぜそこまでいく!!